夏ですね。天気の悪時時期が続きますが、暑い夏と言えば『怪談』まずはコチラの動画をご覧ください。
ちょっとぞっとしたでしょ?ですが一番怖いのは幽霊でも悪魔でもない。本当に怖いのは間違った『思想を持った人間』だよという話を記事にしました。
ALS患者を殺害したの犯人実は『優生思想』だった。
『優生思想』とは…どういった考えのことななでしょう。
優生思想とは
優生思想については多くの学者によって様々な定義がなされています。ここでは、非常に広い定義ではありますが、その名前の通り「優れた生を望む思想」と定義しておきたいと思います。
安藤 (2018) は、優生思想の明確な線引きを行うことは困難であることを指摘しています。具体的には次のような状況です (安藤, 2018; 森岡, 1998) 。
①生まれてくる子どもには障害がない方がいい。五体満足を望むという親
の希望
②(出生前検査で)実際に胎児が障害をもって生まれてくることがわかっ
た場合に、中絶を選択するという行為
③そういう場合、自分であれば中絶する(と決めつける)という考え
④そういう場合はみんな中絶した方がよい、それが子どものためでもあれ
ば親のためでもあるという考え
⑤「障害者は不幸だ。生きていく価値はない」という考えに基づいた社会をつくる出展元:Atusさんのnoteより
今回の事件で当てはまる部分は⑤『障害者は不幸だ。生きていく価値はない』という考え方。今回の容疑者2名も『優生思想』の持ち主であったと言われています。
全身の筋肉が動かなくなっていく神経難病の筋萎縮性側索硬化症(ALS)を発症した京都市中京区の女性に薬物を投与して殺害したとして、京都府警が、嘱託殺人の疑いで、呼吸器内科医の大久保愉一容疑者(42)=仙台市=と、医師の山本直樹容疑者(43)=東京都=を逮捕した事件で、大久保容疑者は、厚生労働省の元医系技官として約7年半働いていたことが、関係者らへの取材で23日分かった。
また、医師2人のうち一人は、「高齢者は見るからにゾンビ」などとネットに仮名で投稿し、高齢者への医療は社会資源の無駄、寝たきり高齢者はどこかに棄てるべきと優生思想的な主張を繰り返し、安楽死法制化にたびたび言及していた。
出展元:京都新聞
これを受けたTwitterの反応がコチラです。
優生思想は、資本に都合がよい。
利益を生んでくれる、健康で若く扱いやすい労働者ばかりになり、
それ以外の人間を養う負担(税や社会保険料)が減れば、
企業はそれだけ儲かる。— Padda (@padda201907) July 23, 2020
優生思想、、
ゾッとした。 pic.twitter.com/ezTptKDo3s— 温泉水滑洗凝脂 (@mizunamerakani) July 23, 2020
https://twitter.com/chuniisan/status/1285176996398428161
賛否両論あるようですが多くの方に共通していたのは優生思想は危険だということ。今回の件。ALS患者の安楽死の是非についての議論もあります。こちらの記事も参照下さい。
安楽死と優生思想は別の方向で議論されるべきだと思います。
優生思想と言えばやまゆり荘の障害者19人を惨殺した犯人植松聖さんが思い出されます。
ALS患者殺人事件犯人とさやまゆり荘事件の犯人植松聖は近い考え?
植松容疑者がやまゆり荘での凶行に及んだ事実はあまりにも有名。ナイフや刃物で19名を次々と殺害した事件。彼は障害者は『社会に不必要だ』という旨の話を周囲に語っていたそうです。犯行直前の女性とのやり取りが非常になまなましい。
「最後の晩餐」に同席した大学後輩女性の証言
まず大学のサークルの後輩女性の調書だ。
《私は、植松聖君の後輩であり、聖君が津久井やまゆり園で大勢の人を殺したことはニュースなどを見て知っています。植松聖君が事件を起こす数時間前の平成28年(2016年)7月25日夜、私は会っていましたので、これから私が知っていることをお話しします。なお、私は植松聖君のことを普段「さと君」と呼んでいましたので、これからそう呼んでお話しします。
私は平成22年(2010年)4月、大学に入学し、フットサルサークルに入会したのですが、その新歓コンパで同じ大学の3年生だったさと君と知り合いました。明るくて優しい先輩という印象を持っており、サークル仲間として一緒にフットサルや飲み会をし、さと君が平成24年(2012年)3月に大学を卒業して以降も、さと君ら先輩は、飲み会などに来てくれて、顔を合わせていました。
平成28年2月17日、突然さと君から私の意見を聞きたいとして、重度障害者などに関する内容のLINEが送られてきました。「重複障害者は人間ではない。重複障害者を生かすのに莫大な費用がかかっている」などといった内容でした。私はふざけてLINEを送ってきているのかと思って、「病んでる?笑」と尋ねました。それでもさと君は「重複障害者は不必要である」と答えました。
私はいつ頃だったか覚えていませんが、さと君から地元で障害者の介護のような仕事に転職したと聞いていました。さと君が転職したばかりの頃は、障害者や仕事内容について「みんな可愛いし、この仕事は天職かも。家族とかが会いにこないのは可哀相」などと言っていましたが、私とは仕事の話はほとんどしないので、詳しい事情はわかりませんでした。
そのため私は2月17日に送られてきたLINEを見て、さと君が仕事のことで悩んでいることがあるのかと思い、「仕事について病んでるわけ?笑」と尋ねたところ、さと君は「死後の保険金として300万円入る」という話をしていました。
私にとってさと君は大勢もしくは友人の中で一緒に遊ぶ相手でしたが、平成28年6月30日、2人で新宿にある高級焼き肉店に食事に行こうと誘われました。さと君から2人で食事に行こうと誘われたのは初めてでした。
これまで私はさと君から恋愛感情を寄せられていると感じたことはありませんでしたが、さと君がかしこまった言い方で「2人で食事に行こう」と誘ってきたことから、私は自意識過剰かもしれませんが、もしかしたら告白されるのかもしれないと思いました。
さと君に彼女がいるかどうかこの時点では知りませんでしたが、そもそもさと君とはサークル仲間であり、いわば兄妹のような関係だと思っていたので、仮に告白されても付き合うつもりはありませんでした。とはいえ、さとくんの食事を断る理由もなかったので、2人で食事に行くことにしました。
私は7月後半であれば予定があいていたので、7月27日に新宿にある高級焼き肉店に行くことになりました。この際、さと君は私のことを「世界で一番美しい」と言ってきました。私はこれを聞いて、もしかしたら告白されるかもしれないと思いましたが、一方でさと君はこれまでも「可愛いね」などと軽いノリで言ってくることもあったので、冗談で言っただけか、とも思いました。》
「さと君は『時が来たんだよ!』と答えました」
《こうしてさと君と2人で食事に行くことになったのですが、7月25日になって突然、さと君から、その日の夜に行こうと言われました。LINEをみればわかる通り、さと君は7月25日午前5時21分に私に「7月27日に食事にいく予定を7月25日に変更してほしい」と言ってきました。
私は仕事が終わった20時か21時頃であれば大丈夫でしたので、さと君にその旨を伝え、代々木駅で待ち合わせることにしました。そして平成28年7月25日20時45分頃に代々木駅に着いて、さと君に電話をすると、移動中とのことでしたが、少ししてタクシーに乗って代々木駅に来たので、私はそのタクシーに乗って、さと君と一緒に新宿区歌舞伎町にある高級焼き肉店に行きました。
タクシーの車内での会話であったか、お店についてからの会話であったか記憶がはっきりしませんが、私がさと君に「なぜ日程を変えたの?」と尋ねたところ、さと君は「時が来たんだよ!」と答えました。私は何を言っているのか理解できませんでしたが、これまでもさと君から私の思いもよらない返答をされて笑ってしまうことがあったので、「時が来た」の意味を聞くことなく聞き流しました。
お店に着いたのは、21時頃だったと記憶しています。私とさと君はテーブル席で対面に座りました。私はすぐにトイレのために席を外しましたが、戻ってきた時にはさと君は注文をしてくれていて、ちょうど店員さんがテーブルを離れるところでした。
注文を終えると、私はさと君が仕事をしていないことを知っていましたので、「仕事してなかったけど、どうするの?」と尋ねました。するとさと君は「新しい法律を6個作りたい」と言いました。私はさと君に「は? 一応聞くけどなに?」と尋ねました。さと君は、1つ目として、意思疎通できない人を殺すという内容のことを言いました。
私はさと君が意思疎通できない人を殺すと考えていることについて、恐怖を感じたので話を流そうと、「次は?」と言って話を続けるように促したところ、さと君は2つ目として「大麻を合法化する」という内容のことを言い、私が「次は?」と言うと、3つ目として「カジノを合法化する」という内容のことを言いました。私は、障害者を殺すという話からすれば穏やかになってきたと思ったので、さと君に「大麻とカジノって海外じゃ合法じゃん。カジノは日本でも合法にしようっていう動きがあるし、そのうち合法になるんじゃない? というよりも、さと君が海外に行けば?」と言いました。(略)
この日はさと君が強い口調で言い返したりして、私の言うことに聞く耳を持たない印象を受けたので、「今日のさと君ダメだね。私からは頑張れとしか言えないよ」と言ったところ、さと君は「ありがとう。でも、俺が無職になってから冷たくなったね」などと言いました。場の雰囲気も悪くなって、私もさと君も沈黙する時間もありました。
お店に入ってから30~40分ぐらい経っていたと思いますが、さと君は突然「俺には彼女がいるんだけど、大事な日に○○(女性のニックネーム)を選んだ」と言いました。私はこれを聞いて、さと君には彼女がいたのだと思いましたが、大事な日というので告白されたら面倒だと思い、話を広げないように「意味わかんないんだけど」などと言って話を流しました。
私はさと君が手紙を出して捕まったという話を聞いていたので、「手紙の件、この間知ったんだ。捕まっていたんだって? 親が悲しむからやめなよ」などと言ったところ、さと君は「確かにね」と答えました。さらに「彼女は手紙の件はどう思っているの」と尋ねたところ、さと君は「悲しんでいるよ」と答えました。
その後、さと君は私に「今日で会うのは最後かも。しばらく会えない」と言ってきました。「なんで?」と尋ねると、さと君は「引っ越すかも」と答えました。「どこに?」と尋ねると、さと君は「まだ決めていない。パワーアップして帰ってくるよ」などと言ってきたので、私は「はいはい」と言って笑って話を流しました。》
その時に限り握手を求めてきた
《食事も終わってきた頃、さと君が「今度白金の別の焼き肉屋に行こう」などと言ったので、私も「行こう」と言って、話を合わせました。そして、さと君が「じゃあそろそろ行こっか」と言ったため、午後10時15分頃だったと思いますが、お店を出ることになりました。
お店を出て新宿駅方向に歩いている途中、さと君は「今日は来てくれてありがとう」と言って、握手を求めてきました。いつもは「じゃーねー」と言って手を振って軽く別れていたのですが、この時は握手を求めてきたので、「やめてよ」などと言って断りました。
でも、さと君は「いいから」と言って、しつこく握手を求めてきました。私は、2~3回断りましたが、さと君がしつこく求めてきたのと、歌舞伎町で人がたくさんいる中で騒ぐのも嫌だったので、しかたなく握手をしました。
歌舞伎町の交差点で信号待ちをした時に、さと君は「今度は別の焼き肉店に行こう。4~5年たったら帰ってくるよ」などと言ってきました。私は「4~5年たったらもっとおいしい焼き肉屋ができているよ」と言い、さと君は「そうだね、じゃあ」。そして信号が青に変わると「用事があるから」と渡ろうとしました。「野暮用?」と尋ねたら、「うん野暮用」と言いました。そこでさと君と別れて、交差点の横断歩道を渡りました。
私は、さと君は、私と会うのが最後かもしれないと言ったり、握手を求めてきたりして、いつもと違う印象を受けたので、自殺をしたりするのではないかと怖くなり、さと君と別れて新宿駅に向かいながら、地元で仲が良いと聞いていたD君に電話をかけました。午後10時30分くらいだったと思います。D君は「あいつはやばいから関わらないほうがいいよ」などと言いました。私はその話を聞いて、さと君が平成28年2月17日に、重複障害害者は不必要であるという内容のLINEを送ってきたことを思い出し、さと君が障害者を殺すんじゃないかと思い怖くなりました。》
当時、植松死刑囚は交際していた女性がいたのだが、「最後の晩餐」には後輩女性を誘ったのだった。元交際女性は裁判に出廷して、衝立で傍聴席から見えないようにしながらも、自らの肉声で証言を行った。その内容は以前、ヤフーニュースに書いた。
https://news.yahoo.co.jp/byline/shinodahiroyuki/20200119-00159452/
相模原事件、植松聖被告の元交際相手女性が証人として法廷で語った衝撃内容
その元交際女性は検察側証人だったが、弁護側が反対質問で「他に被告が交際していた女性がいたことを知っていたか」と交際女性にデリカシーを欠いた質問をし、彼女が激しく動揺する場面があった。植松死刑囚は犯行直前の「最後の晩餐」で「俺には彼女がいるんだけど、大事な日に君を選んだ」と、告白をするのだが、「意味わかんないんだけど」とあしらわれてしまう。
法廷で後輩女性の調書が朗読され、植松死刑囚はいささか立場をなくしたと思ったのか、その後、「その女性は以前、自宅に泊まりに来たこともあるんです」と面会に来た人や、法廷でも証言していた。
デリヘル嬢に「僕のことを忘れないで」と告げて現場へ
さて植松死刑囚は後輩女性と別れた後、新宿歌舞伎町のホテルからデリヘル嬢を呼ぶ。そこで相手をしたデリヘル嬢の調書は、今紹介した後輩女性の調書の前に朗読された。印象に残っていたのは、植松被告の刺青だったという。
《一緒にお風呂に行ってシャワーを浴びた時に、男の両肩周りに刺青があったので「すごいね」というと、男はうれしそうに、にやっと笑いました》《男の両足の太ももにあった刺青が、ゲゲゲの鬼太郎であることに気づいたので、「何これ、鬼太郎だ」と言って笑うと、男は「そうだよ」などと言って笑いました》
別れ際、植松被告はデリヘル嬢に「僕のことを忘れないで下さいね」と言った。7月26日、事件直前の深夜零時頃のことだ。その後、植松被告はホテルを出て、タクシーで自分の車を停めてある駐車場まで行き、そこから自分の車を運転し、犯行現場に向かったのだった。
その数日後、デリヘル嬢はたまたまつけていたテレビで相模原事件のニュースを見て、相手をした男が植松被告だったことを知ったのだった。ニュースではもちろん、植松死刑囚は凶悪事件の容疑者として報じられ、送検時の車内でカメラのフラッシュを浴びて苦笑した映像が「不敵な笑みを浮かべた」として新聞・テレビで報道された。
デリヘル嬢に「僕のことを忘れないで下さいね」と最後に言った植松死刑囚がどんな思いでその言葉を残したのかはよくわからないままだ。
出展元:Yahooニュース
怖すぎる…まさに『優生思想』の体現者。筆者はこの思想がある種カリスマ的であるという一部の意見に一つの懸念を抱いていた。それが『新たな優生思想犯』の誕生でさる。
その懸念が今回現実のものになってしまったのかと思うと恐怖しかない。
この先『優生思想犯』が生まれない保証なないのだから。
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