感動秘話

【追悼】志村園長「また遊ぼう、また会えるから」涙なしでは見れない至極のエピソード3選

志村けんさん感動エピソード②変なおじさん誕生秘話

数々の人気キャラクターを生み出した志村けんさん。中でも『変なおじさん』は高い人気を誇っていました。変なおじさんが生まれたエピソードは感動的なものでした。

父・憲司は小学校教諭で教頭まで昇進し、教頭になってからは校長への昇進を目指して日々勉強に励んでいた。しかし、志村が中学生だった1962年に、自宅前で交通事故に遭う。事故から3年後、志村が夕飯ができたので書斎に呼びに行ったところ、「どちら様ですか?」と聞かれ、この時の憲司は脳内出血による記憶喪失となっており、志村がドリフの付き人になろうと決意した頃には、物事の判断がほとんどできなかった。そのため、志村が実際にドリフの付き人になった時にも、憲司は反対しなかったとのこと。志村の爺さんコントは「この時期の父親をモデルにしたもの」であると、自身の著書『変なおじさん』にて明言している。憲司は47歳の時に学校を休職し、その後は町を徘徊するなどの行動を取るようになっていた。そして、志村が正式にドリフのメンバーになる前の年である1973年に54歳で亡くなった。

出展元:wikipedia

 

普通父親が交通事故に合って、まともに会話もできない状態になってしまったら…ふつうは立ち直れなくなってしまうのではないでしょうか。

こんな状況でも志村さんは笑いに変え、本当に多くの人を幸せにした。お父様も報われたのではないでしょうか。

伝説のコントの裏には葛藤や迷いがあったのではないかと推測します。笑いの求道者として笑いの道を追及した姿に頭が下がります。多くの芸人に目標とされ、多くの国民に愛された裏にはたくさんの苦労があったのではないでしょうか。

次のエピソードは帝王・松本人志さんの著書『遺書』に記されていたものです。

志村けんさんの感動エピソード③松本人志への気遣い

松本さんは著書『遺書』の中で志村さんへの感謝をつづっています。

ダウンタウンの松本人志さんは自著『遺書』の中で、自身が認めるたった4人の芸人についてこう記しています。(松本人志著「遺書」より抜粋)

俺が認めるということは、男ットコ前(おっとこまえ)ということだ。

中略

まず最初の男ットコ前は島田伸介
芸人には動きで笑わせる芸人(視覚)と、しゃべり笑わせる芸人(聴覚)がいたとしたら、彼は間違いなく後者のほうだ。
なぜこのおっさんが上位に上がってこないのか、不思議で仕方ない(やっぱり世間はアホが多い)。
もしもテレビに出られなくなって、ラジオ活動に専念したら間違いなく天下を取っているだろう。
あの頭の回転の速さ、まさに男ットコ前なのである。

二人目は「志村けん」。

俺はドラマも出ないし、歌も出さない。お笑い1本で勝負する。
そのお手本になっているのがこのオッサンである。

本当にお笑いが好きで、お笑いのこと以外のことを考えないという一途さは、まさに男ットコ前なのだろうか。

三人目は「大竹まこと」。

あの破壊力、パワーは男ットコ前だ。
コメディアンというのは、どこか犯罪者のにおいがしたほうがいい(いや、本当に)。そういう意味でもこのオッサンは何をしでかすか分からない 。
いや、しでかした後のような危険があり、畳の上では〇ねないような男ットコ前さを感じる。
俺が大好きな「鳴かぬなら〇してしまえホトトギス」タイプに男ットコ前だ。

最後に紹介するのは俺の隣の男ットコ前「浜田雅功」。

芸人は天才タイプと努力タイプがいる、もちろん俺は天才タイプ(聞き飽きたってか?)。
アイツ(浜田)は努力タイプである。

コンビを組んで間もないころ、「あそこのコンビがツッコミ(浜田)が下手」というのをしばしば耳にした。元々負けず嫌いの性格のアイツは先輩漫才師のツッコミを見て、それこそ遮二無二、勉強したのだろう。
それに引き換え今の若いコメディアンは、ジャンプしてつっこんだり、回し蹴りでつっこんだり、そんなことでは、いつまでたっても浜田は抜けないよ。以上

PS:やっぱり俺は悪口のほうがスラスラ書けるなw

松本さんが選んだ4人の芸人さんに納得ですね!

松本さんに「男ットコ前」と言わしめるほどの志村さん。お笑いに一途な姿勢を高くリスペクトされていることがわかります。

さらに志村さんに関してこう続きます。

ダウンタウンが関東に進出したての頃、志村さんが自ら彼らの楽屋に出向いた時のエピソード。

 『やたらと親切で礼儀正しいおっさん。おい、まっちゃん! 関東に進出して、おめでとう!何か困ったことがあれば、この俺に言えよ!その代わり、俺が売れなくなったら、松っちゃんの番組で使ってよw 』

 関東に出てきて、関東の芸人さんに初めて優しくしてもらいましたわ。

出展元:Akogare

今はそんなことないようですが、当時の芸人さんは戦国時代。関東vs関西の構図がはっきりしていました。その名残がダウンタウンととんねるずが共演するとネットが荒れたりしますよね笑

そんな状況で志村さんが松本さんにした対応は大きかった。松本さんは今でも感謝の気持ちを忘れていないようです。

https://twitter.com/Victory_Cyclone/status/1246612165995294725

 

決して師弟関係というわけではないと思います。ただ、その人柄にお笑いへの姿勢に多くの人間が魅了されていた。あの天才松本でさえもという紛れもない事実だけがそこにあります。

志村けんさんの感動エピソードまとめ

・後輩に娘の病気とウソをつかれ1000万騙し取られても怒らない。むしろ病気じゃなくってよかったと後輩の娘の無事を喜んだ。

・『変なおじさん』は交通事故で障害が残ってしまった父親をモデルにしたもの。悲しみや苦労すら笑いに変えてしまう笑いの求道者。

・関東芸人と関西芸人の仲が最悪の時代に若手であった松本人志を助けた。松本人志は今でも感謝を忘れていない。

お笑い界伝説であり日本の宝であった、志村けんさんのご冥福を心よりお祈りいたします。

この記事が良いと思った方はシェアをお願いします(^^♪

こんな記事も書いてます☟☟☟

1 2 3